Sound of SAKO #5-最終話-
もし、
「死のうかどうか迷っている」
という人が目の前にいたら、おそらく多くの人は全力で止めると思うんです。
僕なら、いきなりそうはしないかな?
まず、話を聞いてみたい。
何がそんなに苦しいのか。どうしてそこまで追い詰められたのか。
話を聞けば、
「ああ……そこまで苦しかったのなら、そう思ってしまうのも無理はないな」
と思うことだってあるかもしれません。
もちろん、命を絶つことを肯定するつもりはありません。
僕なら、そこでひとつ考えたい。
人生を終わらせる前に、今までの生き方を終わらせることは出来ないだろうか?
仕事を辞めてもいい。
学校から離れてもいい。
人間関係を切ってもいい。
住む場所を変えたっていい。
それまで「こうしなければならない」と思っていたものを、
全部ゼロから考え直してもいい。
以前にも書いたことがあります。
「覚悟に勝る決断はない」
僕はそう思っています。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
『人を苦しめるものに、「未来」と「隣人」がある。』
これが僕の考えです。
起こるかどうかも分からない未来に、不安や恐怖を抱く。
人との比較による優劣によって、自分の立ち位置に悩む。
だから僕は、「今」に集中すればいいと思っています。
僕らは現在以外、過去や未来を生きることは出来ないんですから。
そして、人のことを気にしすぎない。
SNSもほどほどにした方がいいですよ(笑)。
人からの評価、特に批判めいたことも気にしすぎない。
ノイズだと割り切れば、腹を立てることもずいぶん減ります。
つまり僕は、
「現在」と「自分自身」に集中する。
それを大切にしています。
僕自身はそうすることで、迷いや不安や恐怖から随分と自由になりました。
余計なノイズが静かになると、心の声が聞こえてきます。
そして、今まで見えなかった景色が見えてくることがあります。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
もうひとつ。
最近強く思うのは、僕らを苦しめるものの中に、
「本質的ではない常識」
があるということです。
僕の場合は常識が嫌いですから、その点では助かっています(笑)。
「あんこ暮らし」の営業終了まで一週間くらいになった頃、
高校生の女の子が買い物に来てくれました。
彼女は受験生でした。
少しだけ話をすることが出来ました。
彼女なりの悩みがあり、僕にはそれがよく理解できました。
僕は子どもが好きです。
これからを担う若い人たちを全力で応援したいと思っています。
悔いのない人生を歩み、
自分にも社会にも幸せをもたらしてほしいじゃないですか?
だからこそ僕は、
大人が若い人にするアドバイスには責任があると思っています。
根拠のない、
本質に欠けた
「常識らしきもの」をぶつけるのではなく、
その人が
何を考え、
何に希望を感じ、
何をやりたいと思っているのか?
まずそこに向き合ってほしい。
子どもたちが歩もうとしている道を、
本人が希望を見いだした生き方を、
ただ「常識」という理由だけで閉ざさないでほしいんです。
「そんなの普通じゃない」
「みんなこうしている」
「将来困るから」
そんな言葉を繰り返されるうちに、
まだ成長の途中にいる若い人が
いつしかそれを自分の常識として取り込んでしまう。
そしてやがて、
自分の心の声が聞こえなくなる。
自分自身を信じることさえ、難しくなってしまう。
僕は、自分自身の経験からそう思っています。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
例えば、
「高校には進学せずに○○をしたい」
と子どもが言ったらどうでしょう?
多くの大人は、
「高校くらいは出ておきなさい」
「高校を卒業してからでも遅くない」
と言うのではないでしょうか?
さらに、
「大学くらいは出ておけ」…と。
僕には後悔のない人生を歩いてきたという自負があります。
でも、ひとつだけあります、後悔が。
それは
大学に進学したことです。
正確に言えば、
大学そのものを否定しているのではありません。
自分では行きたくないと思っていたのに、
自分の心の声より周囲の声を優先してしまったこと。
それを後悔しています。
僕は中学生の頃、
高校には進学せずに働きたいと思っていました。
音楽をやりたかった。
中学までは成績も良かったので、
それなりの学校へ進学することも出来たと思います。
でも僕自身は、そこにほとんど興味がありませんでした。
進学する意味も、よく分からなかった。
それでも自分の中で、
「高校までは行ってもいいかな」
と思い、自分の学力より下の高校を志願しました。
ところが先生や親から強く勧められ、
結局、自分が望んだ学校とは違う学校を選びました。
自分の意見を通せなかった…。
これは、小さな後悔として今も残っています。
高校に進学してからも、大学へ行くつもりはありませんでした。
理由は単純です。
自分のやりたいことが、大学にはなかったから。
価値を見出せなかったんです。
かといって、
自分のやりたいことがどこにあるのかもまだ分かっていませんでした。
だから高校卒業後は、フリーターになろうと思っていました。
僕の高校は当時、一学年に560人くらいいました。
みんな進学しますから そんなことを考えていた生徒は、おそらく僕一人。
入学当初から僕は進級できる程度の最低限の勉強しかしませんでした。
まして受験勉強なんかしていません。
それでも結局、僕は大学へ進学しました。
周囲の期待に逆らい切れなかったからです。
これが、
僕の人生で唯一と言っていい後悔です。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
だから今、若い人が何かをやりたいと言った時に、
僕は簡単に
「普通はこうだ」
とは言いたくありません。
高校へ行くことが正解の人もいる。
大学へ行くことで人生が開ける人もいる。
もちろん、たくさんいるでしょう。
でも、
それがその人にとっての正解なのかどうかは、別の話です。
大人がやるべきことは、自分たちの正解を押し付けることではなく、
本人が自分の人生を考えるための材料を渡すことではないか、って。
僕はそう思っています。
今でこそ僕は、
アイデンティティを大切にして、現在と自分自身に集中し、
自分の心の声を拠り所にして生きています。
でも、ここまで来るのは簡単ではありませんでした。
常識に潰されそうになることもあった。
そこを越えていくことも、本当に大変だったと振り返ります。
だから機会があれば、
そんなことを若い人たちにも伝えたいと思っています。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
僕は幸いでした。
時間はかかりましたが、
本質を見極めるだけではなく、実際に行動し、
変化しながら成長することが出来ましたから。
それは「あんこ暮らし」の創業でも表現することが出来たと思っています。


常識に固執せず、
自分が価値があると思うものを創り、
それを世の中に問い、
駄目ならやめる。
違うと思えば変える。
そして、
やり切ったら次へ行く。
すべて、僕の生き方そのものです。
今も聞こえています。
心の声が。
そして少しずつ、見えかけています。
新しい景色が。
僕の考え方や行動が誰にとっても正しいとは思っていません。
褒められるような生き方なのかどうかも分かりません。
でも、
窮地に追いやられても、
自分で考え、
決断し、
動ける強さは身につけました。
「Sound of SAKO」として、僕の考えを5回に分けて記してきました。
この連載は、一旦ここで終了します。
でもこれからもブログでは、
単なる販売促進ではなく、
僕が考えていること、
感じていること、
生きていく中で見つけたことを
時々、記していけたらと思っています。
2026年10月17日。
「あんこ暮らし」最後の営業から、今日でちょうど一週間。
「あんこ暮らし」の営業はいったん終了しましたが、
これからも餡創家サコとして歩みを続けていこうと思います。
これからもよろしくお願い致します。
Rock On!!
Sound of SAKO
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